『太った?』でなぜ凹むのか。

ソフト過食が続いてます…。

ソフトとはいえ、かなりの量たべてるから
着々と肥えてます。非嘔吐過食だし…。

履いてるズボンはパツンパツンだし、
常にお腹は苦しい。

職場でも太った?と言われ(気づかれ)てる。

事実だとしても、普通は言わないじゃないですか。
で、事実だとしても凹むじゃないですか。

で、なぜ凹むのか考えてみたんです。

容姿については全く凹んでない。
元々容姿に自信ないし。
太ってるし。太ったのも事実だし。
素直に受け入れてる。

なのになぜ凹むんだろう…。

自問した結果(←暇か💦)、
過食で誤魔化してることを糾弾されてるような気持ちになり凹んでいることに気づきました。
『断酒できても過食に逃げてるダメな奴』って見透かされてる気がして、ものすごく惨めになる。

そして、そんな気持ちを悟られまいと、
真っ赤になって慌ててお腹を隠す、言わないでってむきになって怒る。
…相手からしたら、からかいがいがありますよね。

言ってる人の表情をよくよく観察してると、
そこまで深い意味はない。
コミュニケーションを取ろうとしているというか、
親しみ込めて言ってるんですよね。

以前、同僚にまた太ったと言われたと話したら、『◯◯さん、あっちゃんのこと大好きだよね』って言われたの、思い出しました。

あとは、話しかけ易いのもあるのかな。
全然知らない人からスーパーや喫茶店、温泉なんかでも話しかけられるんですよ。

で、言う人の割合を考えてみると、
職場で二人。近所に至ってはたった一人です。

職場が三十人だから7%、
近所は1%にも満たない。

『太った』って言われると、それこそ全世界から言われてるような気になるんです。
過食すると皆にデブだ(おまえは嫌なことから逃げ続けてる)と言われる気がして、
人に会うのも電車に乗るのさえ嫌になるんです。
だから久しぶりに会う人には『太った?』って自ら聞いてしまうんです。
誰も私のことなんかみてないのにね。
ビョーキです。

割合のことは、リハビリの先生に言われたんです。ほら、体触りまくられるから、
先生の言うことは信頼おけるじゃないですか。
太れば肉着き良くなったとかも言われるし。

で、久しぶりにあう先生にも太りすぎて会うのがいやだったんですよ。体触られるし。

先生は
あっちゃんはデブじゃない。
本当にデブならデブだって言うから。
あっちゃん、いくつだっけ?
街、見渡してみなよ。
(周りは皆やせてる人ばかりだと私がいうと、)
あっちゃんと同い年もっとすごいの沢山いるよ。
あっちゃんは痩せてはないけどデブではない。
歳相応。

ところで、デブって言う人は何人?
え?たった三人?
全人口どれだけいると思う?
そんな極少数派に言われたこと気にして落ち込むなんて、すんごいもったいないと思わない?

食べて元気になるなら過食だっていいじゃない。
ただ、あんまり急激に太ると膝に負担かかるから
そこは気をつけられるといいね。ゆくゆくね。
まあ、減量が無理なら筋肉つけよう✨って。

惚れてまうやろ(古っ)って心で絶叫してました。

太った?って言葉。
親しくなりたくて言ってるんだと思うのと、
いつまでも過食に逃げてるダメな奴ととるのと
受けとる気持ちがまるで違うわけですよ。
例え過食に逃げてるダメな奴だと思われてたとしても、本当のことなんだから仕方ないし、
おまえにそこまで言われる筋合いはない。(笑)

そもそもいい歳したレディ(婦人)に向かって、
太っただの妊婦だの、普通は言わないです。
そして多分悪意はない。

捉え方を少し変えるだけで、
心の穏やかさが全然違う。

水島広子先生の、
心の姿勢の持ち方も、大いにヒントになりました。

過食で苦しんできたし、今も絶賛過食中だけど、
少しずつ、つかみかけてます。