つまり、コントロールできないこと自体が症状なんだから、意思の力だけで何とかしようとしても上手くいかなくて当たり前。
だからコントロール出来ない自分を責めたり、
自分は駄目だと落ち込んだりする必要は全くない。
依存症は脳内にできた報酬を求める行為。
依存対象を止めるのに心をつくすより、
根っこの部分、報酬なしでは生きていけない辛さや困難を解消しないといけない。
断酒に成功しても、過食依存というように代替依存を求め続けるわけだ。
そうか、そうだったのか!
私、過食に頼らなければ生きていけないほど傷ついていたんだ。
過食のおかげで何とか生きてこれたんだ。
そう思うと止めたいと躍起になってた過食が全然違って見えるから不思議だ。
感謝とまではいかないまでも、過食を憎んでもしかたない。そう思えた。
そして、自分に対する見方も変わってきた。
過食をコントロールできないことを責めてる場合じゃない!
過食にすがらなければ生きていけないほど傷ついてる自分に優しくしなきゃ可哀想すぎる。
そう思った。
普通のことが出来ないなんて生きてる資格はない。
もっとちゃんとしなきゃ。
もっともっと努力して頑張らなきゃ。
自分なんか大嫌い。
生きてるだけで申し訳ない。
そう思ってた。
でも…
生きづらさを社会や他人のせいにもせず、
自分を傷つけ罰することで必死に生きてるなんて、
いじらしいではないか!
不器用だけどピュアで一生懸命。
そんな自分が初めて愛おしいとさえ思えてきた。
自分を愛すこと、自分を許してあげること。
どういう意味かさっぱりわからなかったけど、
許す、愛するっていう意味が少しだけわかった気がする。
過食をやみくもに止めようとするより、
依存対象にすがらないと生きていけないことをなんとかせねば。
うわべだけ止めても意味がない。
まずは、コントロールできない自分を責めないことから始めてみよう。
余裕があれば、依存にすがりたくなる気持ちはなんなのか感じてみよう。
依存症は全然治ってないけど、
最近とても穏やかです。